姫路小坂・菅原神社

菅原天満神社

姫路市広畑区小坂にある菅原神社におまいりしました。
荒木天神という別名があります。
ご祭神は菅原大神。ご神体は菅原道真公自刻の木像で御神号は楽ヶ渕網曳天神。

社殿

創建については次のエピソードが伝えられています。

菅原道真公が九州に流される途中、播磨灘で暴風雨に襲われた。海上の平安を祈願し、身代わりになる木像を刻み、海に流された。
いつの日か、村人が南の方から聞こえてくる楽の音の方へ歩いて行くと、道真公が流された木造が漂着していた。村人は木像を引き上げ、当社で祀った。

この漂着した木造がご神体で、木像が荒削りなので「荒木天神」であり、網を曳いて木像をお迎えしたことから「楽ヶ渕網曳天神」という神号になった、と説明されています。

境内には多くの境内社、古い石造物が残っています。

金毘羅神社

金毘羅宮

金毘羅神社の狛犬は天明4年(1784)の年号があり、姫路市で2番目に古い狛犬といわれている。一番古い狛犬は伊伝居の桑原神社の狛犬だそうです。
この狛犬は阿形と吽形の配置が普通とは反対に置かれています。
また、狛犬が奉納された天明4年は、天明2年から8年にかけて全国的に発生した天明の大飢饉の最中です。狛犬を奉納する余裕があったのでしょう。

狛犬

国主社

境内の東奥に木の柵で囲った一角があります。
中を覗くと小さい石の祠があり、これが国主社(こうずしゃ)でした。
菅原大神がこの地に鎮座される前から農耕の神として祀られている神様です。
小坂村に火の雨が降るようなことが起これば、この石祠が広がり、氏子全員が避難できるという伝承があります。

国主神社

安政の石灯篭、慶応の撫で牛

石灯籠は安政7年(1860)に前田兵左衛門によって奉納されたものです。境内にある看板に面白い話が書かれていました。

 施主前田兵左衛門は一橋徳川家領飾西郡五ヵ村(小坂村、則直村、青山村、町田村、寺村)の蔵元二代前田定五郎の息子で定三郎といい、嘉永6年(1853)三代定五郎と名を改め、蔵元の継承を大阪の一橋徳川家川口役所に願い出て許されている。
 その後、加西郡牛居村の妻の実家を継ぐことになって蔵元を辞した。弟に四代定五郎の名と蔵元の役目を譲って名を兵左衛門と改め、安政7年(1860)、故郷の菅原神社にこの灯籠一対を奉納した。
  境内の看板より

こんなことまでわかっているのかと思いますし、どういう理由で奥さんの実家を継ぐことになったかはわかりませんが、このエピソードから前田兵左衛門さんはまじめで優しい人だったような感じがします。

安政の石灯籠(右側)と撫で牛(奥側)

群境石(ぐんきょうせき)

2枚の長方形の石で構成されていて、頭頂部にあるV字型のくぼみで郡境がわかるようになっているそうです。姫路市でも大変貴重な文化財ということです。

郡境石

力石

郡境石のそばに力石が3個置かれていました。重たそうな石です。
今でも祭りの際に力石を持ち上げる行事を行うところもありますが、持つところがないので、担ぎ上げるのは大変だったでしょう。

力石

菅原神社はいろいろなエピソードがあり、おまいりできてよかった。
小さな国主社など、これからもずっと残っていくことを祈ります。