龍の口の法難・龍口寺

龍口寺山門

神奈川県藤沢にある龍口寺(りゅうこうじ)は日蓮の「龍の口の法難」の舞台となった寺です。「龍の口の法難」とは次のようなストーリーです。

文永8年(1271)9月12日、侍所の所司・平左衛門尉頼綱に捕らえられた日蓮は鎌倉引き回しのあと腰越・龍の口まで連れてこられた。
 ※ 当時、龍の口は刑場として使われていた。
子丑の刻(午前2時)、日蓮が刑場・敷皮石(首の座)にすえられ、いまにも首を切られようとした瞬間、江の島の方角から月のように光るものが、辰巳(南東)の方角から戌亥(北西)の方へ飛びわたり、あたりは月夜のように明るくなった。
この現象に驚いた武士たちは日蓮の首を切ることはできなかった。
また、幕府からの処刑中止の命令も届き、日蓮は助かった。

不思議な話です。突然、空があかるくなるなんて。
龍の口の刑場跡が山門の横にあります。

刑場跡

九死に一生を得た日蓮はこの後佐渡島へ流罪となります。
日蓮の罪状は御成敗式目第12条の「悪口の咎」でした。第12条は「重大な悪口は流罪、軽い場合でも牢に入る、裁判で悪口を言ったものはその者の敗訴とする」となっているので、「悪口の咎」で日蓮を殺そうとしたのは法規違反だったようです。
夜空に光るものが現れるという奇跡があったにせよ、最終的には佐渡流罪と法律に沿った処分がなされています。
鎌倉時代にちゃんと法律が機能していたことに感心しました。

龍口寺は延元2年 / 建武4年(1337)に、日蓮の弟子・日法が刑場跡に敷皮堂を建て、自作の祖師像を安置したのが始まりと伝えられています。
現在の本堂は天保3年(1832)に建立されました。「敷皮石」が安置されているそうです。

龍口寺本堂

本堂の横には日蓮が刑場に引き出される前に幽閉された洞窟があります。

この洞窟の中で日蓮は何を考えたのでしょう。
鎌倉を引き回されたとき、鶴岡八幡宮に向かって「法華経を広めようとする私を、何故護らないのか」と叱ったという日蓮。絶対に助かるはずという信念があったのでしょうか。
そして、実際に命が助かった。
法華経を広めようとする自分に対する自信、神様、仏様に選ばれているという気持ちが高まったとのではないかと思います。

日蓮幽閉の洞窟

龍口寺を訪問した後、日蓮について調べてみると、学校の勉強では知られなかったことがいっぱいありました。
日蓮はすごくドラマチックな人生を送っています。
数々の法難を切り抜け、へこたれず日蓮宗を打ち立てられました。
日蓮に対して興味がわきました。