魚住住吉神社

魚住住吉神社は海岸に面した神社で、謡曲「高砂」の舞台でもあります。
神功皇后の三韓征伐に関した伝承も伝えられています。
御祭神は底筒男命・中筒男命・表筒男命と気長足姫命。住吉の神々です。

神功皇后の三韓征伐の際、播磨灘で暴風雨が起こったため、魚住に避難し住吉大神に祈願をすると暴風雨がおさまったという。
凱旋後、神功皇后により住吉大神は摂津国住吉に祀られた。
「播磨国に渡り住みたい。藤の枝の流れ着く所に祀れ」との託宣があり、藤の枝を海に浮かべると、魚住に流れ着いた。
創建は雄略天皇 8 年(464)。住吉大神を勧請した。

神社の本殿には返されたお札、お守りが積み上がっていました。たくさんの願いごとがかなっていたらいいと思います。

楼門は海を向いています。境内には能舞台があります。

藤の枝が流れ着いた住吉神社。
境内には藤棚があります。
藤はこの神社の御神木です。
満開は5月の連休頃。

海岸には万葉歌碑があります。

名寸隅の 舟瀬ゆ見ゆる 淡路島
松帆の浦に 朝なぎに 玉藻刈りつつ     
夕なぎに 藻塩焼きつつ
海未通女 ありとは聞けど
見に行かむ
よしの無ければ ますらをの
情はなしに 手弱女の
思ひたわみて徘徊り
吾はぞ恋ふる 舟楫を無み
(万葉集 巻六・935)

魚住の船着き場から見える淡路島
松帆の浦に 朝凪のうちに海藻を刈り
夕凪のうちに藻塩を焼いている
海人の乙女がいると聞くが
見に行く手立てもないので
手弱女のように思いしおれて
さまようばかりで
私は恋焦がれている 
舟も楫もないので

玉藻刈る 海未通女とも 見に行かむ     
船楫もがも 波高くとも
往きめぐり 見とも飽かめや 
名寸隅の 船瀬の浜に しきる白波

玉の藻を刈っている娘 見に行こう 
船や楫が欲しい 波が高くても
往き帰りに いくら見ても見飽きることがない
魚住の船着き場の浜にしきりに打ち寄せる白波は


不老長寿と夫婦円満を謡う謡曲「高砂」(世阿弥作)に住吉神社がでてきます。⇒高砂神社

肥後国の神官「友成」が高砂の浦に立ち寄り、居合わせた老夫婦に「相生の松」のいわれなどを尋ねる。
夫婦は故事を引用して説明したあと、尉は住吉の松の精、姥は高砂の松の精と打ち明け、尉は「住吉で待つ」と言って消える。
友成が浦舟で住吉につくと、尉が住吉明神となって現れ、平和な御代を祝って舞う。

神社の方から海を見ると、夕陽に海が輝いていました。