国分尼寺跡に行きました。
当時の建物は何も残っておらず、住宅の横に国分尼寺跡を示す石碑が立っていました。
石碑に次のように説明されています。
- 今までに発掘調査が5回行われている。
- 調査の結果、寺域は東西134m、南北180mと推定されている。
※国分尼寺 天平13年(741)聖武天皇の詔により鎮護国家のために設置された。 正式名は「法華滅罪之寺」
国分尼寺跡に行きました。
当時の建物は何も残っておらず、住宅の横に国分尼寺跡を示す石碑が立っていました。
石碑に次のように説明されています。
※国分尼寺 天平13年(741)聖武天皇の詔により鎮護国家のために設置された。 正式名は「法華滅罪之寺」