浜の散歩道

姫路から明石まで姫路明石自転車道でサイクリングしました。

姫路から東二見までは新幹線の高架下を通る道。路面が悪いところもあるが、自動車が少ないので、自転車で走りやすい道となっています。
東二見からは瀬戸川まで明姫幹線を走ります。その後、瀬戸川沿いを南下して海岸沿いを走りました。

この日は天気がよく、海岸沿いの道「浜の散歩道」を走るのは気持ちが良く、楽しいサイクリングができました。

浜の散歩道から見る浜辺、海はきれいで、道沿いにはいろいろなモニュメントがあります。

江井ヶ島の碑
江井ヶ島海岸のヤシの木

むかし、江井島一帯は「嶋」と呼ばれていました。この「嶋」に港をつくった行基というお坊さんが、海上安全の祈とうをしている時、港の中にタタミ二枚ほどもある大きな「エイ」が入ってきました。村びとたちは、気味悪がってエイを追い払おうとしましたが、いっこうに去ろうとしません。行基がエイに酒を飲ませてやると、エイは、満足そうに沖へ帰っていきました。このことがあってから、だれいうともなく「エイが向ってくる嶋 鱏向島(えいがしま)」と呼ばれるようになったということです。
また、江井島一帯はむかしから「西灘の寺水」と呼はれる良い水の出るところとして知られています。そこで、「ええ水が出る井戸のある嶋」がつまって「江井島」になったともいわれています。

江井ヶ島の碑より

このあたりは大きな断崖が続いています。長い間の波風による侵食で断崖が作られ、屏風ヶ浦といいます。

大久保海岸の明石原人
腰骨発掘地の看板

この断崖地で昭和6年(1931)に直良信夫氏が腰骨を発見されました。人類学者 長谷部言人氏によってニッポナントロブス=アカシエンシスと命名され、「明石原人」と呼ばれています。
腰骨は戦争中に焼失しました。

昭和60年(1985)、国立歴史民俗博物館の調査団が発掘調査して、6〜12万年前の木器や
石器の出土が確認されています。そんな昔から人が住んでいたようです。

アカシゾウの発掘地点もあります。
アカシゾウは120〜180万年前に生息していたゾウで、体高1.5m。小柄なゾウです。
一般的にはアカシゾウではなくてアケボノゾウと呼ぶそうです。

アカシゾウ発掘地
アカシゾウ

昭和35年(1960)当時中学生であった紀川晴彦氏がこの海岸の崖からゾウの牙の化石を発見した。その後、同地点を一人で掘り続け、約六年間で九七点におよぶゾウの歯や骨の化石を探集した。昭和41年(1966)には、大阪市立自然史博物館が発掘を引き継ぎ、新たな標本を加えた。これらの標本は同一個体であることがわかり、それをもとに初めてアカシゾウの全身骨格標本がつくられた。

説明板より

明石の名前のもとになったらしい赤石もあります。






赤石のいわれが記されていました。

赤石

ここ松江の浜から約二十メートル沖の海底にたて横一・五メートルほどの赤い巨石があって赤石とよばれ、陰暦三月三日の大早潮には岸から石の赤い色が見えるといってにぎわったものです。あかしの地名がこの石から名付けられたといわれるのは、この石が信仰に関係があるからでしょうか。古代には赤石と書いてあかしと読みました。
林から小豆島に続く砂瀬は鹿が往き来をしたからだといわれ、その鹿が矢で射られたのでその血が染まって赤い石になったともいわれます。

明石の街が見えてきました。 姫路明石自動車道も終点です。淡路島が近くに見えます。