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国宝 彦根城を訪問しました。
彦根城は店主が残っている12城の一つであり、国宝になっている5城の一つです。
彦根城は慶長8年(1600)から元和8年(1622)まで20年の歳月をかけて造られました。佐和山城など、いろいろな城から材料、建物を移築して造られたそうです。
関ヶ原の戦いの後、京都を守る要地に有力な藩を置くという幕府の方針のもと、彦根に井伊藩が置かれました。
もともとは彦根城の北にある佐和山(標高 232 m)に佐和山城がありました。これは近江守護の佐々木氏が築いた城で、石田三成の居城でした。
「三成に過ぎたるものが二つあり、島の左近に佐和山の城」と言われた城でした。
徳川家康から近江を与えられた井伊直政は常に徳川の先鋒を務めた猛将。
三成の居城であった古臭い佐和山城を嫌い、新しい城を築くことを考えます。
そして直政死去後、佐和山の向かいにある金亀山に城が築かれました。
金亀山の地主神の名が活津彦根命だったので彦根城と名付けられたそうです。
井伊家は彦根築城から明治維新まで国替えもなく彦根城の城主でした。大老など要職を務めた家で、財力もあったと思いますが、徳川260年を通じてほとんど一揆が起こらなかったというので、善政がしかれたのでしょう。
彦根城博物館に展示されている品々をみると、そのすごさが感じられました。
「黒門」から出ると玄宮楽々園に出ます。4代藩主・井伊直興が造ったもので建物部分が「楽々園」、庭園が「玄宮園」と呼ばれています。
楽々園は当時「けやき御殿」と呼ばれ、建物だけではなく庭園であったようです。
その後も12代藩主井伊直亮により「楽々の間」が造られ、「楽々園」という呼び名になりました。
すごく上質な感じの建物、部屋でした。
玄宮園は琵琶湖の水を取り入れた池泉回遊式庭園。すごく広い。池、橋、起伏のある庭で、それぞれの季節で楽しめるのだと思います。
姫路城に比べると天守閣は小さいですが、玄宮楽々園や彦根城博物館の展示など、江戸時代260年間彦根城主であり続けた井伊家の文化の蓄積を感じることができました。