姫路・岩屋寺

姫路市豊富町にある有乳山岩屋寺は大化元年(645)、法道仙人によって創建されたと伝わるお寺です。
法道仙人は毘沙門天に出合い、「我は汝が来るのを待っていた。我は仏法擁護の毘沙門天である。我が像を作り、お祀りすれば、国家安全、正法が行き渡る」と告げられます。
感激した法道仙人は自ら毘沙門天像を彫り安置しました。これが岩屋寺の本尊となりました。

それにしても、法道仙人はいろいろなところで神様に出会い、お寺を創建しています。
忙しかったと思います。

白雉元年(650)に孝徳天皇が重い病気になられたとき、岩屋寺の大岩の下で平癒祈願を行ったところ、病気が快癒。この功により七堂伽藍が整ったといいます。

岩屋寺の本尊 木造毘沙門天立像は国の重要指定文化財に指定されています。
12世紀前半、藤原時代の製作と見られています。残念ながら、法道仙人が彫ったものではなさそうです。

山を登っていきます。

途中には鐘楼、修行大師の像などがあります。
修行大師像とは弘法大師・空海の修行時代の像です。

修行大師
鐘楼

法道仙人の創建から900年後、三木合戦のさなか天正5年(1577)、三木城主の叔父 別所吉親に攻められ焼失します。岩屋寺は羽柴秀吉に味方していたのでしょう。
その後、慶長6年(1601)姫路城主 池田輝政が復興。延宝4年(1676)源空が中興し、今に至ります。

10分ほど登っていくと本堂に到着します。

姫路藩主 松平長矩に子が生まれたときのこと、直矩夫人の乳が出がよくないという問題があり、色々手を尽くしたが全く効き目がありませんでした。
ところが、ある夜、夢に毘沙門天が現れ、「汝の願いをかなえてやろう」とお告げがありました。目を覚ますと、乳房から乳が溢れ出ます。直矩公も同じ夢を見ます。
毘沙門天を探させたところ、岩屋寺の本尊であることがわかりました。

本堂

そこで、本堂を改築し、有乳山という山号を贈ったということです。

本堂の脇に大岩があり、その下に小さな祠があります。
この大岩が岩屋寺の名の由来ということです。

ここで孝徳天皇の平癒祈願が行われたのでしょう。

色々なエピソードがある歴史あるお寺でした。