姫路林田・伴善男の塚

林田に伴善男の塚があります。

伴善男(811〜868)は平安時代の公家で伴大納言と呼ばれた人物です。
貞観8年(866)、内裏にある応天門が炎上する事件が発生しました。左大臣源信と対立していた伴善男は源信が放火させたと主張したが、太政大臣・藤原良房逆により源信は無罪となり、逆に伴善男が犯人とされ、伊豆に流されました。

伴善男はその2年後、貞観10年(868)58歳で伊豆で死亡したというのが歴史になっています。
それなのに、なぜ伴善男の塚が林田にあるのでしょうか。

伴善男の塚は林田の下伊勢大池にあります。

結構大きい池です。
伴善男の塚は池の北端にありました。

伴善男の塚であることを示す木柱があるだけで、特に変わったものは何もありません。
上の写真のところがこんもりと高くなっているので、墓があるのでしょうか。

室町初期に成立した播磨の地誌『峯相記』には、「伴善男は天慶年間(938〜947)に播磨国に流罪となり、墓所は西川合にある。子孫は藤原純友追討に加わり、軍忠により当初を与えられ開発した」と記載されているそうです。

峯相記が正しいなら、天慶年間には伴善男は130歳になってしまいます。
ちょっと、本当とは考えられません。
でも、伴善男の子孫が播磨に流れてきて、軍功を上げて林田・伊勢の地を得て、この地を開発したのかも知れないと思いました。