錦帯橋

錦帯橋は第3代岩国藩主・吉川広嘉(きっかわひろよし)によって延宝元年(1673)に建造されました。
川幅の大きい錦川を渡る橋です。
説明板によると「橋の長さは、橋面に沿って210メートル、直線で 193.3メートル、幅は5メートル、橋台の高さは6.6メートル」、「橋の構造は精巧かつ独創的で、現代の橋梁工学からみても非の打ちどころがない」とあります。
重機のない江戸時代に、こういう橋ができたのはすごいことだと思います。

錦帯橋が完成するまでには苦闘の歴史があったようです。

  • 慶長6年(1601)、吉川広家 岩国に入国。
  • 慶長13年(1608)、岩国城を築くも元和元年(1615)の一国一城令により取り壊される。現在の天守は昭和37年(1962)に再建されたもの。
  • 明暦3年(1657)、2代目藩主・吉川広正が橋を架けるが、万治2年(1659)により流失。
  • 寛文13年(1673)、3代藩主・吉川広嘉が明の『西湖志』の絵から、川中に島を作り、そこに頑強な橋脚を築くアイディアを得て、橋脚、橋を建造する。
吉川広嘉公
川中に築かれた土台
がっしりした橋脚

翌年(延宝2年/1674)、橋は流出するも、再建。そして、ここから様々な工夫、改良が加えられています。

  1. 延宝5年(1677)、橋脚の敷石の補強を行う。
  2. 天和2年(1682)、鞍木(くらぎ)・助木(たすけぎ)が考案され、揺れが抑制される。
  3. 元禄12年(1699)、橋脚上部に葛石(かずらいし)と亀の甲石(かめのこういし)を新設し、雨水による腐食を防ぐ。
  4. 正徳4年(1714)、アーチ両端の階段の矧方(はぎかた)を「水返し実付重ねはぎ矧」にし、雨水が拱肋基部に入らないようにする。
  5. 享保6年(1721)11月、両側の柱橋(1、5橋)の橋板継目を銅板で覆う。
  6. 元文2年(1737)~ 寛保元年(1741)、親柱の頭部に親柱笠木を載せる。
  7. 延享元年(1744)には上流側に流木避けの捨柱を立てる。
  8. 安永2年(1773)橋の上下20間(約36m)の間での漁猟を禁止。
  9. 寛政8年(1796)、橋板に溜まる雨水の排水と高欄土台の腐朽防止のため、土台の下に枕木を設ける。

反りの大きさや形状、橋の下部構造とかには100年以上に渡った技術改革の英知、情熱が詰まっているのですね。

傾斜がきつい
橋の下部構造

延宝2年(1674)以来、流失しなかった錦帯橋ですが、昭和25年(1950)の台風で流失。
橋の高さの見直しや橋脚の補強などが行われ、昭和28年(1953)に再建されました。
そして、平成13年(2001)には「平成の架替」が行われています。

この日は、修学旅行の生徒たちが錦帯橋を訪れていました。
気候温暖化の影響で100年に一度の大雨が毎年のように起こっています。
こういう厳しい気候に打ち勝ち、錦帯橋がいつまでも健在で、誰もが先人の英知、情熱を感じられるといいですね。

錦帯橋を渡る修学旅行の生徒たち

※ 歴史や技術的な工夫については岩国市のホームページを参考にさせていただきました。