姫路・早川神社

鎮座1700年と刻まれた鳥居

早川神社の御祭神は兵主神。
神功皇后が麻生山で祭祀を行ったときには、すでにこの地におられたという古い歴史がある神社です。
明治44年(1911)に建造された石鳥居には鎮座1700年と刻まれています。これが正しいとすると創建は西暦200年頃で、今はご鎮座1800年です。
こんなに古い神社が姫路にあるとは全く知りませんでした。

地名についての話が、神社の説明看板にありました。
早川神社がご鎮座されている地区の地名は阿成(あなせ)ですが、古くは穴師や穴無と書き「あなし」といったそうです。
『播磨国風土記』には、安師里と書かれ、土地は中の中。作物の出来は平均的だったようです。倭(やまと)の穴師兵主神社(現在、奈良県桜井市にある大兵主神社)の神戸がこの地にあったため、穴師と名付けられたとあります。
神戸とは神社が所有した部民で、租庸調の税を神社に納た人たちです。

早川神社が発行している「阿成と早川神社の由来」という冊子によると、大同の頃(806~810年)、穴師の神の神戸は全52戸あったが、そのうちの39戸はここ阿成にあったといいます。
この地は穴師の神にとって重要な地域だったと考えられます。
それゆえ、ここに穴師の神が分霊されたのでしょう。

おまいりしたとき、子供が楽しそうに遊んでいました。
子供が遊んでいるのを見たら、神様も喜んでくれると思います。

手水鉢は元禄15年(1702)9月に奉納されたものでした。この年、赤穂浪士の討ち入りがありました。討ち入りは12月なので、討ち入りの少し前に奉納されたことになります。
今でも、ちゃんと使われているのがすごいことだと思います。
地域の人が大切にしているのがわかります。

元禄15年奉納の手水鉢

境内にある天満宮に市川の絵馬がかかっていました。
昔は市川を渡る橋がなくて、市川の向こうの妻鹿に行くためには渡し舟を使っていたことが描かれています。今、橋があるのが当たり前で、橋が無いことなど考えたこともないのですが、昔はこの絵馬に書かれた光景が繰り広げられていたのですね。

渡し舟の絵馬

きれいな庭園もありました。
早川神社は歴史が古いというだけではなく、なにより地域の人に愛され、憩いの場でもある神社だと思いました。