石田三成のふるさと

夏休みの輪行で、石田三成のふるさと滋賀県長浜市石田町を訪問しました。
JR長浜駅を降りると秀吉に茶を渡そうとしている石田三成の像がありました。

羽柴秀吉と石田三成

有名な三献茶の場面です。

鷹狩の帰り、秀吉が寺に立ち寄りお茶を頼みました。
寺の小姓は大きな茶碗にぬるめのお茶を持ってきました。
のどが渇いていた秀吉は一気に飲み干し、もう一杯お茶を頼みました。
小姓は先ほどより少し熱いお茶を、すこし小さい茶碗に入れてきました。
秀吉がさらにもう一杯お茶を頼むと、小姓は小さい茶碗に熱いお茶を入れて差し出しました。
秀吉はお茶の入れ方に気を配る小姓・佐吉を気に入り、召し抱えました。

石田会館

当時秀吉は長浜城主でした。小姓の佐吉は後の石田三成です。
石田三成は長浜駅から東に約6kmの長浜市石田町で生まれています。
石田三成公の屋敷跡が石田会館として整備されています。

石田会館・石田三成公屋敷跡

石田三成公の像、辞世の句碑、西郷隆盛の七言絶句碑などがあります。
三成公の像は優しいお顔をしていました。教科書などで石田三成公の図として出てくるものとはイメージが異なります。

石田三成公

「石田三成公 産湯の井戸」という三成公の産湯の水を汲んだとされる井戸跡もありました。

石田三成公 産湯の井戸

少し離れたところに八幡神社があり、三成公の供養塔が建てられています。

八幡神社

供養塔建設由来を読むと次のようなことが書かれています。

昭和16年八幡神社の地中から故意に破壊された多数の五輪塔の残骸が発掘された。
残骸は石田三成公の先祖に関係するものと推定された。関ケ原合戦後に徳川方の追及を逃れるために、神社に埋められたものと思われる。

供養塔

この地域の小字名は「治部」といい、三成公の職名です。
石田三成はちょっと悪いイメージで考えていたのですが、石田会館を訪れて、地元の方の石田三成公への愛を感じました。
戦いに敗れたとはいえ、天下分け目の決戦をやってのけたのですから、すごい人物ですよね。

観音寺

次は秀吉との出会いがあった観音寺です。
観音寺は石田会館よりさらに2kmほど東にあります。そこまでは三成公グリーンロードを走ります。
観音寺は浅井vs織田の戦いの最前線であった横山城址の山の中腹にあるので、坂を上るのが心配だったのですが、トンネルがあり案外簡単に着くことができました。

観音寺

観音寺の創建は宝亀年間(770~781)に光仁天皇の勅願により開基され、正元年間(1259~60)に現在地に移転したという古い寺です。

門を入って左手に、三成公が秀吉にお茶を献ずるときに汲んだという井戸跡があります。

水汲みの井戸

少し小高い場所にある本堂は江戸時代の再建で、三成公と秀吉が出会った当時のものではありませでした。

本堂

本堂から戻るとき、緑に囲まれた参道、向こうの山、空がきれいでした。
二人が見たのはこの本堂ではなかったかもしれませんが、二人はこの景色を見たかもしれない。きれいと感じたかもしれないと思いました。