姫路市八代にある八代大歳神社におまいりしました。
ご祭神は大年神と大山昨神です。
神社の説明板には以下のことが書かれていました。
- 大年神と大山昨神のお使いである仙鶴がくわえた五穀の種子を作り、この神々を祀ることで五穀豊穣、家運隆昌、福寿長久、地域平穏なるべしのお告げにより八代の地名を得た。
- 昔、北八代に大歳社があり、南矢代には短羽矢明神と大歳社があった。
明治のころに合祀された。 - 短羽矢明神は神功皇后が麻生山から射た白羽の矢を納めてまつっていた。
そこから矢城村の名を得たともいわれている。
このあたりにも神功皇后の行矢伝説があるのですね。
境内に入っていくと古い石鳥居があります。
これは延宝8年(1680)に姫路城主・松平直矩公が寄進したものです。
松平直矩公は5歳で家督を相続。あまりに幼いという理由で、姫路から越後村上藩に国替えとなりますが、寛文7年(1667)に姫路藩主に復帰。
しかしその後、天和2年(1682)に親族のお家騒動のために豊後日田藩に国替えになったのを皮切りに、出羽山形藩、陸奥白川藩と目まぐるしく国替えを命じられました。
映画「引っ越し大名」のモデルとなったお殿様です。
たくさんの家臣たちを引き連れて、あちこち行くのは大変だったでしょうね。
鳥居をくぐり石段を上ると拝殿に到着します。
秋祭りでは拝殿前で屋台練りが行われるそうです。
2本の木の間に「登竜門」と書かれた木の板と登竜門の説明があります。
黄河の上流にある登龍山を切り開いてできた急流のことで、この急流を登ることができた鯉は龍になるという故事から、この登竜門をくぐることにより「子供の無事成長、入学・進学・立身出世」の願いが成就するとされている。
八代大歳神社の説明版より
登竜門のくぐり方が書かれています。茅の輪くぐりに似ています。
とにかく、その通りにくぐってみました。
最後は岩神大明神のところです。小さな祠の下に注連縄で飾られた岩があります。
これが登龍祈願石です。この石を撫でて祈願します。
八代大歳神社のホームページによると、山上にある巨石の一部をおまつりしているということでした。
Googleマップによると八代大歳神社の裏の山は柴崎山城となっていたので登ってみました。
登山道はきれいに整備されています。
標高は88mなので、すぐに登れます。
古い建物があります。ネットでは行者堂と紹介されていました。
行者堂の周りにはたくさんの石仏像が置かれています。
新西国三十三か所霊所巡りができるようになっていたようです。昔、ここは信仰を集めた場所だったのでしょう。
また、大きな岩が露出しています。これが岩神大明神なのでしょうか。
しかし、城の遺構のようなものは全くありませんでした。
ネットで調べると柴崎山城の初代城主は井出宗考沙弥。のちに黒田官兵衛の父・黒田職隆が姫路城主になったときに、八代六郎左衛門道慶が城主になったとあります。
当時は城といっても小さい砦のようなものだったと思います。
八代大歳神社の境内から姫路城が見えます。やはり姫路城は格好が良いですね。