姫路・破盤のわれ岩

姫路の隠れパワースポットとも言われている太市の破盤神社とわれ岩を見てきました。
この辺りは竹の子の産地。近くの竹の子工場から竹の子のいい匂いがしています。

破磐神社

破盤神社の御祭神
主祭神 息長帯日売命(オキナガタラシヒメノミコト)
配祀神 帯中日子命(タラシナカツヒコノミコト)
    品陀和気命(ホンダワケノミコト)
    須佐之男命(スサノオノミコト)

創建は約1800年前と伝えられています。ものすごく古い!

神功皇后が三韓より凱旋の時、忍熊主の難があったため、御船を妻鹿の湊に寄せられ、三野の荘、麻生山で朝敵退治を天神地神に祈られた。
その折、皇后は天に向かって三本の矢を放たれる。
第一の矢、第二の矢は共にあだ矢となつて落ちてしまったが、第三の矢は、太市郷西脇山中の大磐石を貰ぬいて三つに破った。
皇后は、これは吉兆であると大層お喜びになられ、この地に矢の根を祀られ、後に仲哀天皇、応神天皇の御二柱を合せ祀り、破磐三神として崇め奉るようになった。
この破れた大磐石は、当社より西南約1.7kmキロ離れた山中に現存し、この地は今も宮が谷と呼ばれている。
この地は非常に狭隘で祭事に煩いがあるというところから、中世現在地に遷座される。

鳥居
石灯籠

タケノコ売りのおじさんがいました。

太市筍組合のホームページによると、嘉永年間(1848年~1853年)に親竹として、孟宗竹を移植したのが始まりで、約200tが生産されています。
 「器量の山城(京都)、味の太市」と言われていて、太市のたけのこは京都のたけのこにも負けていません。

神門は建て替え工事中でした。

神門
拝殿
三光堂
天満神社

次に、破磐神社の起源であるわれ岩の方に行きました。
破磐神社から約1.7km離れています。

われ岩

近くまで行けば、われ岩の看板が出ています。

看板にしたがって、お墓の横を通って少し登っていきます。

巨大な岩が見えてきました。迫力ある大きな岩がゴロッとあります。

破磐神社起源の大磐石(われ岩)

このわれ岩は神功皇后が放たれた第三の矢が当って破れたと今に伝えられる破磐神社起源の大磐石です。
その昔、神功皇后が三韓征討よりご凱の時、忍熊王の難がありましたので御船を妻鹿の湊に寄せられ、見野の庄麻生山で朝敵退治を天神地祇に祈られ、天に向って矢を放たれました。
第一の矢は印南郡的場にあだ矢となって落ち、第二の矢は飾磨郡安室辻井に落ちてしまいましたが、第三の矢は太市郷西脇山中のこの大磐石にあたって磐が三つに破れました。
皇后はこれは吉兆であると大層お喜びになり、この地に矢の根を祀られ、後に仲哀天皇、応神天皇の御二柱を合せ祀り破磐三神と崇め奉るようになりました。
この地は非常に狭隘で祭事に煩いがあるというところから中世当地より東北1.7キロ離れた地に神社を御造営し大神等をお遷り申し上げ現在の破磐神社となっております。

破磐神社の起源について
 かみのさち
 吹く風弓のかふら矢と いかで磐をも通ささらめや
と詠まれてます

われ岩の説明版より

神功皇后が麻生山から放った第三の矢で射抜かれた岩。

後ろから見ると射抜かれたところがよく分かります。

こんなところに、こんな大きな岩があり、しかもきれいに割れています。
こんなことができるのは、やったのは神様だと考えても不思議ではないと思いました。