廣畑天満宮

廣畑天満宮は菅原道真公、蛭子大神、春日大神をお祀りしている神社で、その始まりは霊亀年間(715〜716)に奉祀されていた廣辻神社に求められるそうです。
延喜元年(901)菅原道真公が太宰府へ左遷された折、広畑の高浜の汀に上陸されます。この地の人々は道真公の人徳を深く仰ぎ、道真公が太宰府で亡くなられたとき、廣辻神社に併せ祀り、天満宮、廣畑天満宮と称するようになりました。
また、明治31年に作成された亀山雲平撰の碑記によると、明治2年(1869)に京都の北野天満宮の分霊を勧請したと記されています。

播磨の海沿いに位置する数多くの神社に菅原道真公に関わる物語が残っています。
それだけ大事件であり、物語が造られていったのだと思われます。

拝殿内に多くの絵馬が奉納されています。

境内には司馬遼太郎の文学碑が建っています。そしてその側には遼太郎の父・福田是定氏の玉垣があります。

司馬遼太郎文学碑

福田是定氏の玉垣

文学碑には次のように記されてます。

祖父惣八は播州人である。兵庫県姫路市の浜寄りの郊外の広という村の出身で、そこに江戸時代のあいだずっと百姓をしていた家系に生まれた。戦国のころは播州三木城にその先祖が籠城したということであるが、身分はわからない。

司馬遼太郎文学碑より

惣八氏の玉垣が八幡神社のところにあります。

八幡神社
福田惣八氏の玉垣

司馬遼太郎のおじいさんやお父さんの玉垣があるということを知ると、司馬遼太郎を少し身近に感じられました。