奈良初瀬・長谷寺

奈良・初瀬にある長谷寺を訪問しました。

近鉄・長谷寺駅を降りてすぐのところにあるのかと思っていたら、長谷寺はその向こうに見える山の中腹にあります。長谷寺駅からは石段を降り、初瀬川を参急橋で渡り、門前町を抜けて行きます。距離にして1.5キロメートル。20分の道のりです。

長谷寺駅前
長谷寺駅から長谷寺へのルート

参道を上がっていくと、大きな仁王門が現れます。
ここで入山料を払います。十一面観音菩薩像を見るには特別拝観料金が必要ですが、絶対に見る価値はあると思います。

仁王門

仁王門をくぐると登廊に続きます。
登廊は下登廊、中登廊、上登廊の3つがつながり、仁王門から本堂まで399段、108間(約200m)の長さです。平安時代の長暦3年(1039)に春日神社の社司・中臣信清が我が子の病気平癒の御礼に作りました。
枕草子や源氏物語に長谷寺のことが載っていますが、枕草子や源氏物語が作られたのは西暦1000年頃なので、紫式部や清少納言の時代には登廊はありませんでした。
それより少し後の更級日記の菅原孝標女は登廊を歩いたかもしれません。

登廊

登廊を上がると大きな伽藍が現れます。
国宝の本堂です。現在の本堂は慶安3年(1650)に徳川家光により造営され、この中に十一面観音菩薩像が安置されています。

本堂は山の斜面に建てられていて、清水寺と同じように懸造りとなっています。

本堂

本堂にたどり着いたのが、ちょうどお昼の12時で、鐘楼堂で時報「時の貝」が始まりました。
清少納言が法螺貝の音に驚いたことを枕草子に記しています。
1000年以上も昔のエッセイに書かれたことが、今も続けられていることに驚きです。

「時の貝」

続いて本堂の中に入り、十一面観音菩薩像を拝観させていただきました。
高さは約10メートル。本当に大きい。
思わず、ひれ伏し、御御足をなでてお祈りしてしまいました。
誰もがこの像の偉大さに驚き、感心し、すがりたくなってしまうのではないかと思います。

この中に十一面観音菩薩像がおられる

長い歴史のある長谷寺ですが、道明上人と徳道上人というお二人の上人によって始まりました。
朱鳥元年(686)に道明上人が、天武天皇の御願により銅板法華説相図を初瀬の西の丘に安置し、長谷寺を開きました。銅板法華説相図は、病気にかかった天武天皇の回復を祈って作られたもので、国宝に指定されています。
50年後の神亀4年(727)には、聖武天皇の勅願により徳道上人によって十一面観音菩薩像を造立が始まり、天平5年(733)に開眼供養が行われました。
長谷寺は何度も火災に見舞われており、現在の十一面観音菩薩像は天文7年(1538)に作られたものです。

開山堂には本尊十一面観音菩薩を安置した徳道上人がおまつりされています。また、西国三十三ヶ所霊場の各寺の御本尊もおまつりされているそうです。

道明上人が最初に精舎を建立したというのが本長谷寺です。三重塔跡があり、五重塔が建てられています。

開山堂
本長谷寺

奥の院には豊臣秀吉の弟、豊臣秀長供養塔があります。長谷寺と豊臣秀長というちょっと意外な組み合わせです。

秀長は兄、秀吉の天下統一に貢献し、大和・紀伊・和泉の3カ国を領有していました。
秀吉が紀州根来寺を焼き討ちしたとき、秀長は根来寺の専誉僧正を長谷寺に招きます。
これにより長谷寺は真言宗に変わるとともに、観音霊場としても復興し発展しました。
現在、長谷寺は真言宗豊山派の総本山です

大納言秀長公供養塔(中央)

最後に本坊・大講堂を見学しました。
本坊は大正13年(1924)に再建された建物で、国の重要文化財に指定されています。
中には巨大な掛け軸や、天皇陛下がお入りになる部屋などがあります。

本坊・大講堂

廊下に菅原道真が記したとされる長谷寺縁起絵巻が展示されていました。本尊の十一面観音菩薩像が作られていく様子が絵と文章で表現されています。
それにしても長い!絵巻がこれほど長いものだとは思いもよりませんでした。

長谷寺縁起絵巻
霊木が引かれていくシーン

さまざまなエピソードがある長谷寺。
いろいろ見て回ったのですが、まだまだ見るところがありそうです。もう一度来て、大きな十一面官能菩薩像にも再会したいと思いました。