国道29号線を北へ進み、戸倉峠を越えて鳥取側に下っていくと、平家の武将・平経盛が隠れ住んだという落折集落があります。
落折集落の入口近くには平経盛の墓もあり、宝篋印塔が立っていました。

平経盛
平忠盛の三男で平清盛の異母弟。平敦盛の父。
歌人として知られ、歌が『千載和歌集』などに収められています。
壇ノ浦の戦い(元暦2年/1185年)で弟の平教盛とともに入水しました。
さる程に、門脇の中納言 教盛(かどのわき の ちゅうなごん のりもり)、修理大夫 経盛(しゅりのたいふ つねもり)、兄弟、手に手を取り組み、鎧(よろい)の上に碇(いかり)を負うて、海にぞ沈み給ひける。
平家物語より
山の方へ歩くこと約10分。
道をふさぐような大きな岩が現れました。ここが平経盛がひそかに隠れ住んだという岩窟への入口でした。

案内表示が示す方向へ、岩の下をくぐって進んでいきます。
この辺り一帯は、大きな岩が複雑に入り組み、まるで砦のようです。敵に襲われても応戦し、逃げることもできそうです。

一番奥の岩窟には横になることもできそうなスペースがあり、隠れ住むには絶好の場所のように思えました。

戸倉峠から若桜の間には、この落折以外には集落はなさそうです。
今は国道29号線を使えば落折集落へのアクセスは容易ですが、平安時代や鎌倉時代にここに潜んでおれば、落ち武者狩りの追手から身を隠すことができたのかもしれません。
落折集落の全戸は『平家』姓を名乗っています。
平経盛が隠れ住んだという岩窟はいかにも隠れ家という雰囲気がありましたが、全戸が『平家』姓であるということに迫力を感じました。

平経盛が隠れ住んだという言い伝えは兵庫県上郡の小野豆にも残されています。
小野豆は山の上にある集落で、今でこそふもとから自動車でも登ることができますが、昔は簡単にはたどり着けなかったのではないかと想像します。
平経盛が壇ノ浦から落折や小野豆まで逃れて来た可能性は別として、平家に味方した人たちが身を潜めて暮らしていた可能性は十分にあると感じました。

















