加古川・西条古墳群
西条古墳群は尼塚古墳、行者塚古墳、人塚古墳を総称したたものです。昭和48年(1973)に国史跡に指定されました。3基の古墳は行者塚古墳、人塚古墳、尼塚古墳の順に造られました。行者塚古墳は前方後円墳で人塚古墳、尼塚古墳は円...
西条古墳群は尼塚古墳、行者塚古墳、人塚古墳を総称したたものです。昭和48年(1973)に国史跡に指定されました。3基の古墳は行者塚古墳、人塚古墳、尼塚古墳の順に造られました。行者塚古墳は前方後円墳で人塚古墳、尼塚古墳は円...
縄文時代から平安時代までの住居跡、古墳がある加古川の宮山遺跡(みやまいせき)を訪問しました。 まずは宮山遺跡のお隣りにある上西条八幡神社にお参りしました。 上西条八幡神社 御祭神は品陀別命(ほんだわけのみこと)、息長足媛...
宗佐の厄神さんは、九州の宇佐八幡に向かう和気清麻呂が道鏡の家来に襲われたとき、一頭の大猪が現れ清麻呂を救ったことにより厄除の神様として崇敬されたと伝えられています。 神社は天平勝宝元年(749)に孝謙天皇の勅願所として建...
天竺徳兵衛は高砂の塩問屋赤穂屋の跡取り息子として慶長十七年(1612)に生まれました。 高砂市船頭町の自治会館に徳兵衛の生誕地の石碑があります。ここには徳兵衛の産湯に使われたと言い伝えられている古井戸がありました。 徳兵...
高砂にある十輪寺を訪問しました。本尊は阿弥陀如来。法然上人二十五霊場第三番です。 十輪寺は弘法大師空海により真言宗の寺院として創建されます。空海が唐への旅の途中、高砂まで来たとき、色鮮やかな雲が現れました。これを見た空海...
加古川城跡である称名寺を訪問しました。天正五年(1577)、ここで加古川評定が行われました。味方だったはずの秀吉と三木別所氏が決別。織田・秀吉 vs 別所・播磨勢・毛利の戦いが始まりました。 15歳の加古川城主・糟屋武則...
加古川にある神吉城址を訪問しました。現在、城跡は常楽寺になっています。 織田信長の播磨攻めにあい、織田軍三万に対し千名ほどの城兵で戦いました。織田軍には織田信忠(織田信長の嫡男)、明智光秀、佐久間信盛、荒木村重という、織...
志方八幡神社にお参りしました。志方八幡神社は加古川60選に選ばれています。以下の説明が書かれていました。 天永二年(1111)宮谷に創祀され、明応元年(1492)現社地に奉還して八幡神を勧請しました。古来、厄除け安産の神...
加古川市東神吉町に那須与一の石仏というのがあります。 那須与一は源平合戦の屋島での戦いで、平家の軍船に掲げられた扇の的を射落としたことで有名な武将です。生まれは関東。京都伏見で死去されたようで、神吉町とは全く関係がなさそ...
法道仙人はインドの人。7世紀中頃日本に来たとされています。空を飛ぶ術を心得、日本に飛行してきて八葉の蓮華に囲まれたような山があるので降り立ちました。そこが今の一乗寺になっています。托鉢の鉢を播磨灘まで飛ばして、海上の船か...