泉岳寺

泉岳寺にお参りさせていただきました。
赤穂浪士四十七士は本所両国の吉良邸で吉良上野介を討ち取った後、早朝の江戸を泉岳寺まで行進。吉良上野介の首を浅野内匠頭長矩の墓前に供えました。
泉岳寺は赤穂の花岳寺、加西市の久学寺という赤穂浪士ゆかりの三がく寺の一つですが、泉岳寺が圧倒的に有名ですね。

泉岳寺におまいりして、建物が大きくて立派なので感心しました。
泉岳寺は慶長7年(1612)に徳川家康によって創立されたお寺ということを知り、立派なのも納得できました。

中門は天保7年(1836)に、山門は天保3年(1832)に再建されたもの。特に山門はかなりの大きさがあります。

中門
山門

山門のそばには大石内蔵助の像がそびえています。

解説には「内蔵助が、当時の風俗である元禄羽織を身につけ、連判状を手にして東の空(江戸方向)をじっとにらんでいる姿を表したもの」とありました。
内蔵助は討ち入りまでの日々、どういう気持でいたのでしょうか。

大石内蔵助像

本堂は戦争で焼失。昭和28年に再建されたもので、泉岳寺のご本尊・釈迦牟尼仏などがおさめられています。
本堂では坐禅や読経などの修行が勤められており、正面の「獅子吼」という額はお釈迦様の説法のことを表しているそうです。

本堂

四十七士の墓所の方へ向かいます。四十七士に関連するものが残されています。

主税梅は大石主税が切腹した松平隠岐守三田屋敷に植えられていた梅で、血染めの石は浅野内匠頭が切腹したときに、その血がかかった石と伝えられています。

主税梅
血染めの石

次は首洗い井戸です。
この井戸水で吉良上野介の首を洗ったことから、首洗い井戸と呼ばれているそうです。
首を洗うとは、どんな感じなのでしょうか。
恐ろしいです。

首洗い井戸

浅野内匠頭長矩公と夫人(瑶泉院・阿久里姫)の墓があります。奥様の阿久里姫は夫・長矩の起こした刃傷事件、夫の切腹を知って、どういう気持ちだったでしょう。

浅野内匠頭長矩公の墓
浅野長矩公夫人の墓

お二人のお墓の奥に四十七士の墓があります。

墓所に入るときに、入口で線香を買い、それぞれのお墓に供えました。
一つ一つの墓はそれほど大きいわけではありません。同じような形がした墓が整然と並んでいます。

四十七士の墓

赤穂浪士のお墓は赤穂の花岳寺、加東市の観音寺にもありました。いずれも物悲しい感じがしました。

一番奥に大石内蔵助の墓、そして手前奥に大石主税のお墓があります。

大石内蔵助の墓
大石主税の墓

四十七士のメンバーは年令、階級がバラバラで、いろいろな人がいます。
そして、大石主税はまだ16歳。義士の中には若い人がたくさんいます。
現代と江戸時代では感覚、常識が違うので、仕方がないことですが、主君の仇を取ったとはいえ、若い人たちが死なずに済んだら良かったのにと思ってしまいます。