播磨の山城 楯岩城跡

兵庫県太子町にある山城、楯岩城跡に登ってきました。

登山口のある若王子神社へ行きます。
420号線沿いにある目新しい石の鳥居から奥に進みます。獣害防止柵があるので、扉を開けて中に入ると若王子神社前の駐車場に着きます。

県道420号線側の鳥居
駐車場側の鳥居

若王子神社のご祭神は仁徳天皇。
拝殿の中はたくさんの絵馬が奉納されていました。かなり古い絵馬もあったので、昔から信仰を集めた神社だと思います。

若王子神社
奉納された絵馬

いよいよ登山です。

頂上の本丸まで約1km。
登山道は整備されていて、迷うことはありませんでした。
30分程度で頂上に到着します。

登り口

「大岩が楯のように並ぶことからその名がついた」ということです。たしかに大きな岩がありました。でも、楯のように並んでいるとまでは思えませんでした。

本丸跡にはテレビの電波塔が立っています。

本丸跡、テレビ塔が立っている
楯岩城跡の看板

江戸時代の地誌「播磨鑑」によると、建武年間(1334〜1338)赤松則弘が築城。
赤松則弘は赤松円心の孫。父は赤松家2代目赤松範資。則弘は広岡五郎と名乗り、広岡家を興しました。
楯岩城は嘉吉の乱(1441)で幕府軍に攻められ落城。その後、幕府側に味方した赤松貞村が城に入り、5代続きました。
永正18年(1521)、赤松義村と村上村宗との戦いの最前線だったとか。天文三年(1534)と元亀元年(1570)には朝日山で龍野城主と楯岩城主(太田城主)が戦ったとあります。

頂上からはすばらしい見晴らしです。ここから敵を見据えて、戦国の時代を戦って生き抜いたのだと思いました。