平井山 秀吉本陣跡

三木城攻めのときに秀吉が築いた平井山本陣を訪ねました。
平井山の本陣は三木城からは 3km の至近距離に築かれました。
西から北に美嚢川、南に志染川が流れ、川に囲まれた丘陵地一帯が要塞となっていました。
最頂部に40間(72m)四方の本丸があり、二の丸、三の丸が設けられていました。
土塁で囲まれており、守りを固めた本格的な陣地でした。

山の中に入っていきます。
看板があるのでわかりやすい
兵が駐屯できるように段状に平坦地が築かれました
太閤道の看板
この道を秀吉が歩いたのでしょうか
主郭
三木の街が見えます
秀吉もここから三木城を見たのかも

天正七年2月に別所方から平井山本陣への攻撃がありました(平井山の戦い)。

2月6日、別所方は先手二千五百余騎、後陣七百騎で打って出る。
対する秀吉側は三千騎。
数だけなら差はないが、平井山を攻め上がる三木方は地の利が悪く破れていった。
この戦いで三木城主 別所長治の弟 別所治定が討ち死。八百余騎が討たれる大敗を喫した。

今、平井山の裏手はぶどう園になっています。合戦の跡は全く残っていません。