牛窓神社の駐車場の入口にはあじさいが咲いていました。

牛窓神社は長和年間(1012~1016)に創建されたとされる古い神社です。
しかし、牛窓には多数の古墳が残っており、牛鬼伝説や神功皇后が三韓征伐の帰路に立ち寄ったという伝承が伝えられていることから、神社の起源ははるか昔にさかのぼると考えられています。
牛窓神社のパンフレットには、牛窓の地名の由来が地元に伝わる伝説として紹介されていました。
神功皇后のみ舟
牛窓神社のパンフレットより
備前の海上を過ぎたまひし時、
大きなる牛あり。
出でてみ舟を覆さむとしき。
住吉の明神、翁と化りて、
其の角を以ちて投げ倒したまひき。
故に其のところを名づけて牛まろびと曰ひき。
今、牛窓と云ふは訛まれるなり。
「牛窓」という地名は「牛がまろんだ(転んだ)」がなまって、牛窓となったということでした。牛窓の前に浮かぶ前島、黒島、青島などは牛鬼の名残とされているそうです。

暑い日でしたが、緑の参道(裏参道)の両側の背の高い木々が日陰を作ってくれて癒やされました。

拝殿の中にはたくさんの絵馬が奉納されていました。
文化9年(1812)に建立されたという本殿です。
明るい空、本殿を囲む緑の木々。光を浴びた茶色の本殿が輝いています。

本殿横の玉垣は江戸時代の明和4年(1767)に奉納されたものです。
牛窓の廻船問屋の旦那衆が奉納したということで、それぞれの名前の上には屋号のマークが刻まれています。

神功皇后の牛鬼伝説から江戸時代の廻船問屋の玉垣が並ぶ牛窓神社は、時代を超えて船と人を見守ってきたのですね。


















